鎌倉時代の創建で、往古多摩川沿いに建立されていたが、慶長年間に旧甲州街道沿いの現在塊に移設されたものである。 正面の瑠璃殿には薬師如来、不動堂には厄除け不動、地蔵堂には一顧地蔵が奉安されている。 一般には調布不動尊として知られており、江戸時代に当山中興の祐仙法印が、成田山新勝寺より成田不動尊を勧請したのが始まりである。
天平年間、満功上人により開山。ご本尊は澤田政廣先生作の阿弥陀如来立像を新たに奉安し、 古くは行基菩薩作密仏薬師如来及び閻魔大王等をおまつりしている。時移り、明治末年中西悟 玄(中西悟堂厳父)住職代に自由民権運動殉難者慰霊祭、並びに大演説会が盛大に挙行され、 板垣退助始め領袖の党員千余名が参集したという。その時の記念として板垣伯お手植えの松は 「自由の松」として称えられ、現在も天高く響えている。
開基は満功上人といい、今を去る千二百五十余年前、奈良時代天平五年に深大寺を開創されました。 その昔、比の辺りの豪族右近長者の一人娘と恋仲になった福浦童子が、二人の恋を許さず、湖水の中の島に隔てられた娘に逢いたい一心に、 水神深沙大王を祈り、霊亀となって出現した水神の助けによって島に渡ることが出来ました。 神仏の加護を受けた二人の伸は、めでたく父の長者に認められ、後に福満と娘の間に生まれた男児が出家して膚に渡り勉学の末、 帰朝して故郷の地に父母の縁を結んでくれた水神深沙大王をお祀りしたのが当山の起こりです。
開山は奈良時代と言われ、古くは上布田宿境にあった三栄山不動院寿福寺、下布田の紫雲山賀性寺、 上布田の広福山常行院栄法寺の三寺を大正四年に合併し、開山時の年号に因み、三栄山常行院大正寺として創建された。 栄法寺は、明治初年、神仏分離のときまで布田天神の別当であった。 本堂は(旧)山門とともに栄法寺より移築せるものにして文政十年の建築である。
【一部引用:ウキペディア・各種パンフレット・他】